偽善行為。

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今日仕事から帰ってくると、家の目の前の道路で猫が車に轢かれて死んでいた。
雨に濡れてずぶ濡れになっていた。
比較的体は綺麗で生前のままに近かったように見えた。
私は一度家に帰り、ゴム手袋をはめてその猫のところまで戻った。
道路の真ん中で寝ている猫をこのままにしておくのは非常に忍びない。
もしこの子が飼い猫だったら、飼い主は捜しに来るだろうし。
見つかったときに生きているときのままの姿に近い方が会えた時に嬉しいと思う。少なくとも私だったらそう思う。
もしこの子が野良猫でも、これ以上踏まれて形がなくなってしまう前に、歩道によけてあげておきたかった。
死んでしまえば形なんて関係ないのかも知れないけど、私は出来る限り生きているときのままに近いほうがいいような気がして轢かれている猫を見つけると歩道に寄せたりすることがある。

私は自分が行うこの行為のことを 『 偽善行為 』 とよんでいる。

偽善行為といっても、別に他人に良く見られたいといった類の偽善ではない。
轢かれてしまった動物がかわいそうで何とかしてあげたいけど、私が出来ることといったら道路の真ん中からそれ以上轢かれないように端っこに寄せる位。
しかも、遭遇しても毎回できるわけじゃないし、全然怖くないのかと言ったらそうでもない。
綺麗なままだったらそんなに怖くはない。だけど損傷が激しくて日中とかだといろいろよく見えてしまうのでそれだとちょっと勇気がいる。

で、道路状況、人目がある環境、動物の体の状態などで、それすら出来ないときも多々あるのでそんなときに

『 私は偽善者だなぁ 』 と思ったりする。

本当に動物が好きで優しい人はきっとこんなことで迷ったりしないんだろうな・・・と思う。
でもとりあえず、自分に出来ることは出来る限りでやりたいなと。



あの猫も、何時間前かわからないけどそれまでは普通に生きていたわけで、その時私がであえばあの子は私にとって 『 かわいいニャンコ 』 
でもその数時間後に死んでしまった猫に触れることは、少しの勇気がいる。 
それは 『 怖い 』 という感情にみまわれるから。

『 怖い 』と思うのはなぜなんだろう。生きていれば『 かわいい 』のに、死んでしまうと『 怖い 』
この感情は、赤ちゃんの時は暗闇も怖くないけど、成長するにつれて暗闇が怖いと思うようになる感情と似ている気がする。


私の心がもっとピュアだったらきっとこういうことも怖いと感じないんだろうな。
もっと優しくなりたい。


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